日東亜鉛ストーリー
人は楽しめなければ
成長しない
全長634m、空に向かってそびえたつ東京スカイツリー。
アスリートたちが躍動し、コロナ禍の世界に感動を発信した
東京オリンピックの舞台となった新国立競技場。
全国の川や海をまたぐ大型の橋や、高層ビルに金属製の電柱。
あらゆるインフラを支えるのは、人間の体でいうなら
「骨」ともいえる鉄の鋼材。
この鉄が錆びてしまえばインフラは寿命が短くなってしまう。
鉄の鋼材を錆から守っているのが亜鉛めっきだ。
鉄の鋼材に「鎧」をまとわせる亜鉛めっきの
技術を持った日東亜鉛の歴史は100年近くあり、
多くの取引先・ゼネコンから信頼され安定した業績を残しています。
強みや未来について、代表取締役・本野晃司へのインタビュー形式で
ご紹介いたします。
日東亜鉛の
代表作とは?
まず日東亜鉛の最近の代表作というと何になるのでしょうか?
様々な鋼管やインフラに使われる建築資材、建物の鉄骨の溶融亜鉛めっきをしているのですが、最近のわかりやすい例でいいますと、新国立競技場ですね。屋根やスタンドの部分を担当しました。
それから、東京スカイツリーの展望台です。展望台のガラスを支える柱や、らせん状の階段などかなりの重量を担当させてもらいました。
実は日本を代表するテーマパークのアトラクションの一部やホテルも弊社がめっきした鉄骨が使われています。
私たちが目にする有名な設備を手掛けたのですね
一般にはあまり知れ渡っていないので、工場見学に来られた方々や会社の面接にきた学生さんに説明すると驚かれます。
他にも高速道路の標識柱にガードレール、通信鉄塔、太陽光発電の架台、コンクリート製から金属製に置き換わろうとしている電柱、アウトレットの大型駐車場など、身近なところで弊社の技術を目にされていると思います。
古くは昭和天皇が乗られていた御料車、日産プリンスロイヤルのシャーシをめっきしました。随分前の仕事なので私たち現役世代は見たことがないのですが。
日東亜鉛の
強みとは?
そもそも日東亜鉛が始まったのはどのようなきっかけだったのでしょうか?
日東亜鉛の前身である小幡亜鉛鍍金という会社が発端で、大正13年に私の祖父が東京の月島で創業したのが第一歩になります。
創業者は大正12年にあった関東大震災で焼野原と瓦礫の山だらけの光景を見て、「インフラに関わる事業がしたい、国作りをしたい」という思いを抱き、溶融亜鉛めっきの事業を始めたと聞いています。
大震災直後、インフラはボロボロで電力供給も停止し、それこそガスも水道も通っていない中で、ライフライン復旧のために送電鉄塔、水道管、ガス管の亜鉛めっきが求められました。
そして、第2次世界大戦後の復興、高度成長期やバブル崩壊など好景気と不景気の波を経験しましたが、おかげさまで今日まで仕事が絶えることはありませんでした。
日東亜鉛が長く継続できている秘訣はありますか
「溶融亜鉛めっき」というひとつの事業を100年近くにわたり成長発展していく過程は、決して平坦な道ばかりではありませんでした。苦難の連続だった気がします(笑)
社是にかかれている「信頼と協力の精神を貫いて」を社員一人一人が忘れずに、凡事徹底の精神で当たり前のことを愚直に地道に追及し続けてきたことが、今日まで日東亜鉛がめっき会社のリーディングカンパニーとして継続できている要因だと思います。
他のめっき会社にない日東亜鉛の特長は何でしょうか
弊社は川崎工場に「大中小」大きさの違う釜を持つ3つのラインがあります。
名古屋工場にはパイプや鉄筋のできるライン、そして栃木工場にも建材製品がメインのラインが1つあります。
この5つのラインを持っていることで、パイプで言えば小径管から大径管まで、構造物は長尺から小物のめっきまで様々な受注に対応が可能です。
パイプのめっきと構造物のめっき、両方できて、量産できるのは日東亜鉛しかありません。
また、パイプのめっきにおいては、パドル方式とバッチ方式の2種類のめっき方法を使い分け、技術的に高度なめっきにも対応できると高く評価されています。
それにプラスαで、2015年には川崎工場と名古屋工場とも鉛レス・カドミレスの高純度溶融亜鉛めっきという環境にやさしいめっき(ピュアZ)を開発しました。
鉄筋の自動化めっきも2020年より開始しました。
社員教育などはどのように行われていますか
やはり、企業が成長するためには、人の成長が不可欠あり、社員一人一人の教育が重要になります。
独自の社内教育やOJTにより、未経験者でも活躍できる職場づくりに取り組んでいます。昨年より、新システムを導入し、iPadを活用し、進捗状況の見える化を実現しています。
また、めっき技能士資格、クレーン免許、フォークリフト免許などの資格取得に対する受験料は全額を会社で負担するサポートを行っています。
日東亜鉛では数多くの社員が定年後も、再雇用契約か関連会社にて継続して働いていますので、50年以上勤めている方も多くいます。最高齢だと80才を超える社員も現役で働いています。
ベテランが持っている技術が若手にうまく引き継がれ、この10年ほどで川崎工場、名古屋工場ともに現場では平均年齢が38才くらいに若返っています。
「技術」と「人材」、それ以外の強みはありますか
最大の強みは「スピード」、そして「対応力」です。
私たちに来る発注には納期までのスケジュールがタイトな場合がかなりあります。一番最初に立てた計画が設計をまわり我々に依頼が来る頃には製造工程が押しており、「納期まで数日しかない」ということも少なくありません。
例えば、新国立競技場もまさに突貫でした。
私たちは納期に間に合わせる突貫工事には慣れています。
このスピードが強みかもしれません。
“機動力”の高さで急発注にも対応ができますので、「日東亜鉛に頼めば何とかなる」、「納期に間に合わせてくれる」という、めっきメーカーとしての総合力の高さはお客さまから厚い信頼をいただけています。
常に5つのラインを駆使しながら、「高品質」、「短納期」や「お客さまのニーズ」にお応えできる工場を目指しています。
日東亜鉛で
感じる
喜びとは?
この仕事をやっていてどのようなところに喜びを感じますか?
やはり「ものづくり」はワクワクします。
新製品の開発や新しい設備の導入など、失敗が続きうまくいかないことも多々ありますが、形になった時の喜びは何年やっていても変わりません。
亜鉛めっきは、簡単そうに見えるのですが、やればやるほど難しく、知れば知るほど奥が深い。新しい技術の開発に日々取り組んでいます。
もう一つは、「ありがとう」とお客さまに感謝されるのは喜びですね。
「納期に間に合わせてくれて助かったよ」、「きれいに仕上げてくれてありがとう」、その一言がなにより嬉しいですね。みんなの励みになります。
また、社員が仕事にやりがいをもって、生き生き働いている姿を見るのも大きな喜びです。
品質に関しては感謝されますか?
錆びないものを作る、品質のいいものを納品するのは当たり前です。製品の仕上げなどで綺麗に納品したときはお客さまに喜ばれます。「こんなに綺麗にやってくれるんですか」と感動されるのは嬉しいですね
弊社は他社が対応できない依頼にも応えていきたいと考えています。
例えば、真円矯正という技術を持っており、パイプなどをちゃんと“丸”にして納品します。品物をチェックして、1つ1つマーキングして、シールを貼ってお客さまの指定場所に届けます。
こうした本来めっき屋さんがやらない“プラスα”も感謝されます。
一般の人から喜ばれることはありますか?
それはあまりないですね(笑)
私たちがめっきした製品はあらゆる産業で色々な場面で使われていますが、前面に出るものではないため気づかれないケースが多いです。
新国立競技場で使われた製品も木材でカバー装飾されるため人目につきません。水の中でひっそり使われることもあります。テーマパークに納品した製品も塗装されますし、なかなか見られる機会はありませんので一般の人に褒められることはほとんどありません。
「黒子」といいますか「縁の下の力持ち」に徹した会社です。
日東亜鉛の
今後の目標は?
今後の夢や目標を聞かせてください
私にはめっき工場を「新3K」職場にする、という目標があります。
古くからめっき会社は「危険」「キツイ」「汚い」の3K職場が常識とされ、そのイメージが根強く、入社したころから私はそれがとても嫌でした。
社員は愚直に真面目にものづくりを極めながら、世の中に役に立つ仕事をしています。
その姿を目にする度に悔しさを覚え続けていました。
そのためにも、さらに安全で働きやすい環境づくりが私の仕事であり、工場は「きれい」で働きやすく、働く姿が「格好よく」、しっかり「稼げる」という新3Kを浸透させたい。社員のためにも実現させたいです。
また、日東亜鉛では女性社員や外国人従業員など多様な人材が活躍できる職場にしたいと思っています。
カーボンニュートラルの実現も鑑み、持続可能な社会を創造するために、更なるめっき製品の長寿命化、環境に優しいものを作るSDGsな会社も目指します。
従業員の皆が笑顔で働けるのが1番です。各部署のリーダーにはものづくりを楽しめる環境づくりを工夫するように伝えています。
「新3K」による新しいめっき会社のイメージを浸透させ、時代を超えて永続する企業を目指します。
■編集後記
日東亜鉛のめっきの仕事は鉄材を錆から守り、インフラを支えている。
社長から「縁の下の力持ち」という言葉があったが、まさに日東亜鉛は見えないところで私たちを支えてくれる会社だ。
素晴らしい仕事にも関わらず、ほとんど人目につくことはない。
褒められることは少ないものの、社員の皆さんは「社会貢献をしている」という誇りを持って働いている――そう感じた。